院長紹介|横浜市都筑区の内科・小外科。漢方療法も行っております

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横浜市都筑区の内科・小外科。漢方診療も行っております

院長紹介

私の略歴

井泉 尊治(イズミ タカハル)と申します。

1949年 台湾高雄市生まれ。
1967年 中国医薬大学(台湾台中市)薬学部に入学、中医学・中薬の基礎を学び、日本の漢方医学に出会った。
中国医薬大学は台湾で、はじめて中西医結合との趣旨で設立された医薬大学です。
1976年 留学生として来日。一年間、東北大学薬学部生化学教室に研究生として在籍した。
1978年 長崎大学医学部医学専門課程の編入試験に合格し、本格的に医学の勉強を始めた。
1982年 長崎大学医学部を卒業し、日本国医師免許を取得した。
東京大学医学部第三外科教室に研修医として入局。約六年間外科の修行をした。
1988年 神奈川県横浜市都筑区(旧緑区)で、サイ・クリニックを開業し、現在に至った。
井泉尊治院長

20年以上に渡り、地域の患者さんの健康を見守り続けているサイ・クリニック。院長の井泉先生は、現代医学だけにとらわれず、漢方治療やQRS療法などを取り入れて広い視野で診療を行っているドクターだ。
「ただ病気を治す治療ではなく、患者さんを幸せにしてあげられる医療を提供したい」と話す井泉先生の診療スタイルは、患者さん一人一人の症状を画一的にではなく個別にとらえ、しっかり話を聞き、全人格的なアプローチをしていくというきめ細かな診療。かかりつけ医として、長期的にお付き合いされている患者さんが多いのもうなずける。そんな井泉先生にお話を伺った。(取材日2009年3月12日)

単身で日本に渡り、不安を感じる暇もないほど、ただただ夢中で医学を学びました。

医師を目指したきっかけは?

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僕は台湾出身で、幼少期は台湾第二の大都市・高雄市で過ごしました。子供の頃は、小学校から高校まで一度も学校を休んだことがない、元気で真面目な子供でしたよ。毎朝、誰よりも早く登校し、教室の扉を一番に開けるのが僕の役目でした。当時の台湾では、バスケットボールが人気のスポーツなので、中学・高校はバスケに励んでいましたね。医師になりたいと思ったのは、母の一言がきっかけでした。「家族の中に医師がいたら心強いね」と言った言葉がずっと頭の中にあって、医学部を目指そうと決意したのですが、高校2年の頃から原因不明のひどい蕁麻疹に襲われ、それが受験勉強の障害に。言い訳に聞こえそうですが、全身の倦怠感と薬の副作用による眠気で勉強に集中することができず、医学部に入るのを断念し、中国医薬大学薬学部に進みました。卒業後は兵役を経て、製薬会社に就職し、結婚しましたが、病院や薬局に薬を売り込む仕事には自分の性格に向いていないことを実感。思い悩んでいたところ、「学問を学ぶなら日本に行くといい」という話を聞きました。まだ台湾が日本統治下にあった時代、多くの台湾人が勉強するために日本に渡り、僕の周りにも日本の医学部を出た医師が大勢いました。「日本で勉強しよう!」そう決意して、日本語の勉強を始め、日本への留学試験に合格。1976年、留学生として来日しました。27歳の時です。

医学部へと編入された経緯は?

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日本に来て最初は、東北大学の薬学部に入り、研修生として1年間学びました。その後、大学院の試験を受けるつもりでいたのですが、留学生を対象に薬学部から医学部へ編入できる大学があるという話を聞いたのです。一度は諦めかけた医師への夢にもう一度チャレンジしてみようと決め、該当する大学5校に願書を出しました。そこからは猛勉強の毎日ですね。妻と子供を台湾に残し一人で頑張っている寂しさもありましたが、不安を感じる余裕もないぐらい受験勉強に打ち込みました。当時、仙台を出て東京の巣鴨で住んでいたのですが、駅から下宿までの地蔵通りを歩く時によく口ずさんだ歌が、坂本九の”上を向いて歩こう”。自分を励ますつもりで、いつも歌っていました。

薬は補助的なもの。病気を治すのは患者さん自身です。

その後はどのように進まれたのですか?

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受験勉強の甲斐あって、長崎大医学部に進学することができました。在籍中の4年間は必死でしたね。卒業して医師免許を取らないと、それから先は何もないという思いだけ。勉強以外、他に何かをするといった余裕はありませんでした。長崎大学に入り半年後(来日2年後)、台湾から家族を呼び寄せ一緒に生活できるようになったことは、大きな励みになりましたけどね。その後は、東京大学医学部第三外科教室に入局しました。

東京が住みやすかったことと、日本の最高峰の大学で学んでみたいという憧れもあり、直々に手紙を出し入局することができました。研修なども含めて6年間在籍しましたが、手術の技術を含め、広く医学のことを学ぶことができました。その後、自分の考えている医療をやりたいという思いがあり、開業しました。院名のサイ・クリニックの”サイは、帰化する前の名前から付けました。開業後は、内科、外科、いろんな症状の方からお子さんまで、幅広い患者さんを診ています。

漢方治療に力を入れておられるそうですね。

台湾で学んだ中国医薬大学は、中西医結合を趣旨として設立した学校でしたので、昔から西洋と東洋、両方に接することができました。日本の大学では西洋医学を中心に学び、もちろん西洋医学を否定する考えではありませんが、東洋医学・漢方薬治療にはとても関心を持っています。これは僕の考え方なんですが、西洋の薬とは抑えの薬なんですね。今以上に状態を悪くしないために食い止める、もしくは進行を遅らせるために薬を用いります。他方、東洋の薬とは癒す薬。ただ病気を治すだけではなく、患者さんを健康な状態に導くものです。プラスの方向にもっていくという漢方の考え方に共鳴しましたし、実際にガンの患者さんで、抗がん剤治療が辛く漢方薬治療に変えたところ、とても調子が良くなったと話されていて、なるほど漢方はいいんだなと思いました。漢方の素晴らしいところは、人間の自然治癒力を引き出す力だと思っています。うちでは、西洋の薬も漢方薬も出しますが、患者さんには、「薬をお出ししますが、あくまでも病気を治すのは患者さんご自身です。薬は補助的なものですからね」と話しています。

QRS療法とはどういったものですか?

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医療には、①疾病治療 ②体調管理 ③健康管理の三つの領域があるというのが僕の考えで、クリニックでは患者さんの症状に合わせてこれらの医療を上手く使い分け、診療を行っています。そして、患者さんを健康な状態へと導く治療として、QRS(電子ホメオパシー)を導入しています。病気の症状や体調不良の理由は、患者さんごとに異なります。それを画一的に治療していくのではなく、その人の健康状態を相対的に把握し、病を回復に向ける生体情報を患者さんに送り込む治療をQRSでは行います。

現代医学が分子医学なら、QRSは素粒子医学。目に見えない生体情報を電磁情報として捉え、その作用を治療や体の内部環境の改善や保全に及ぼすものなのです。QRS、ホメオパシーという言葉は、まだまだ知らない方が多いと思いますが、その効果は少しずつ認知されてきています。違う病でQRS治療を受けていた患者様に一ヵ月後、具合を聞いたときに「30年来の頭痛と不眠が嘘のように消えた」との返事を頂いたこともあります。また、何年もQRS治療を続けているほかの患者様からはある日、「5、6年ぶりに旅行に行ってきた。遠い昔に諦めた旅行に無事に行って来られたのは本当に嬉しかった」と声を掛けられたこともあります。このようにQRS治療の持つ不思議な力を時々体験しています。

病気を治すだけでなく、人を幸せにする医療を提供したい。

診療で心掛けていることは?

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西洋医学だけにとらわれず、また東洋医学ばかりに目を向けず、全ての医学の考え方を折衷した医学を進めることで、患者さんに幅広い医療を提供することができ、自分自身も医師としての広がりが持てるのではないかと考えています。現代医療はEBM(Evidence-Based Medicine)を礎として、過去の統計的データーに基づいた医療を行っていますが、僕が目指している診療はそれにもう一つ大切なファクターNBM(Narrative Based Medicine)を入れて患者さんとの会話の中から病気の根本原因を理解し、その原因に対して全人格的なアプローチをしていく考え方です。つまり、医療の中に”人と人との触れ合い”を交えることで、患者さんごとにそれぞれの病気と向き合っていくものです。人間というのは、細胞が集まり、それが組織となり、器官となり、人体が形成されますが、それで完成ではありません。そこには心があり、魂が入っているのです。そう考えると、分子レベルでいじっても、魂までは届かず、本当に体を良くすることはできないのではないでしょうか。”心身霊整合性医療”と僕は呼んでいるのですが、患者さんの話をしっかりと聞き、その方の過去・現在・未来をつなげて治療方法を考えることで初めて、病気を治し、人間を健康にすることができるのだと僕は思っています。

診療で心掛けていることは?

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僕は多趣味で、カルチャーセンターの常連です(笑)。先日までは、絵画を習っていました。診療室などに僕の描いた絵を飾っているので、ぜひご覧ください。今、習っているのはバイオリン。高1の時に始めたのですが以来、引っ張り出してきては練習してと繰り返していました。なかなか上達しなくて、5年前に長男の結婚式で弾いた時は散々たる結果に…。でも一人の先生に出会ってから、すごく上達したんです。教え方が良くて、人前で披露できるほどの腕前に?。去年の診療所の忘年会でスタッフの前で披露したのですが、評判は悪くなかったようです。

今後の展望は?

単身で来日して日本の大学に入り、一度は諦めかけた医師への夢を再び目指して無我夢中で勉強に励んでいた時のことを振り返ると、「どうしてそこまで頑張れたのかな?」と自分でも不思議でした。でも、それが最近になって少しずつですが、分かりかけてきました。子供たちが大人になり自立したのをきっかけに、今自伝を書いているのですが、自分の考えをまとめていくうちに見えてきたことは、僕はずっと”本物の医療”を探していたのではないか?ということです。それを必死に探し求め、突っ走ってきたように思います。今もなお真の医療を探し続けているところですが、今後も人間を幸せにできる医療を目指して、広い視野をもって、患者さんとの触れ合いを大切にした医療を進めていきたいと思っています。

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